![]()
第1期メンバー 森岡保次(Vo)、中間英明(G)、渡辺憲一(G)、西野潤一(B)、出原卓(Dr) ハリー・スキュアリーの歴史は1983年にドラムの出原卓とベースの西野潤一、ギター の中間英明が出会ったことから始まった。新バンドを結成するにあたって意気投合した、 当時ゼファーで活動していたギターの渡辺憲一とヴォーカルの森岡保次を加えた5人編 成で本格的にリハーサルを重ね、ハリー・スキュアリーが誕生したのである。 地元大阪を中心に活動を開始したハリー・スキュアリーは当時としては珍しいアメリカン ハードロックサウンドが瞬く間に注目を集めていた。1983年10月2日には44マグナムや プレゼンスと共に「Jumping Live '83」に出演し、翌1984年2月には、マリノ、ラジャスと 共にオムニバスアルバム「Battle Of Metal」にRock'nRoll Paradise、It's Just A Radio の2曲で参加、アルバムリリース 後にはバトル・オブ・メタル ツアーを行った。 順風満帆な活動を続けて行くと思われた矢先に、ヴォーカルの森岡保次とギターの渡辺 憲一が音楽性の相違を理由に脱退してしまい、バンドは活動停止状態に追い込まれて しまう。 第2期メンバー 南安秀(Vo)、中間英明(G)、Tommy Vogtman(G)、西野潤一(B)、出原卓(Dr) 後任のヴォーカリストとギタリスト探しは難航し、オーディションを繰り返す間に1年以上が 過ぎ去ってしまった。85年3月になってヴォーカルに南安秀とギターにトミー・ボートマンを 加え活動を再開したハリー・スキュアリーは周囲の誰もを驚かすほどの変貌を遂げ、重厚 なブリティッシュ・ハードロック・バンドに生まれ変わっていたのである。精力的に活動を続 けることになった彼らは、1986年4月にオムニバスアルバム「GO TO EAT」にFeeling High で参加。7、8月には東京、大阪、名古屋で行われた「Metal Warrious」に44マグナム、 リアクションと共に出演。さらに全国をツアーで回り着実にファンを獲得していった。 しかし、1987年3月に米国籍を継続するためギターのトミー・ボートマンが脱退してしまう。 第3期メンバー 南安秀(Vo)、中間英明(G)、西野潤一(B)、出原卓(Dr) ![]() 後任のギターを探すアクションもあったが、結局ハリー・スキュアリーは中間ひとりのギター だけでで活動を続けて行くことになる。しかしギターが1本に成った事による音圧の減少は 感じられず、逆に自由度が増した中間のギタープレイは研ぎ澄まされて行く。ロッキンfの '87年5月号にはソノシート「Dirty Street」が付録として付くなど、まさにインディーズシーン では収まりきらない活動が目に付き、同年夏には渋谷公会堂やスポーツバレー京都で行わ れた「NEW AGE ATTACK!」でリアクション、DED ENDなどと共に出演し、ジャパニーズメタル シーンに着実に根をおろして行ったのである。そして翌年1988年に念願のメジャーデビュー アルバム「Break It Up 」をリリース!勢いは収まることなく加速すると期待が高まった。 楽曲、演奏のクオリティの高さ、中間のギタープレイの魅力により、このまま行けば海外の シーンにも充分通用するようなバンドになるに違いないと言う大きな期待とは裏腹に、中間 のギターに話題が集中しすぎたためか、1989年中間のソロアルバム「Point Of No Return」 のリリースを境に高まる周囲の大きな期待とは正反対にあっけなく解散してしまった。 しかし、2003年1月ハリースキュアリーはHARD ROCK SUMMIT SPECIAL IN OSAKAで鮮烈 な再結成LIVEを見せてくれた!そして今でもあの頃の楽曲が全く色あせることが無いと言う ことを教えてくれた。 そして2003年7月26日 渋谷AXに再びその姿を現してくれる! |